2011年11月17日木曜日

フィールドから見えるもの②

日常に織り交ざる声―松山「俳句甲子園」―



夏といえば甲子園。ただ、高校野球ではない、競技は「俳句」だ。「大街道商店街」は、松山城のふもとに広がる旧城下町・松山市中心街にある全長約500mの大きな通りである。衣食住さまざまな店舗が入っており、生活の中心ともいえる商店街である。しかし、ここは8月になると真夏の暑さに負けないほどの熱戦が繰り広げられる「聖地」と化す。松山市が市制120周年を迎えた2009年、私は聖地でそれを観戦していた。

松山市は文学の街。正岡子規生誕の地、夏目漱石『坊っちゃん』の舞台、隣の銀天街商店街には多数の生徒の俳句、市内各所に作品を投函する「俳句ポスト」、ちょうど大街道を松山城側に抜けると「坂の上の雲ミュージアム」。そうした背景をもった地で「俳句甲子園」が開始された。

「俳句甲子園」は51組のチームで行う俳句バトルだ。 互いに俳句を披露しあい、作品を鑑賞しあって勝負する。初々しい高校生たちが真剣に競い合う姿は見ていて気持ちいい。10時過ぎに「プレイボール」すると、一本に伸びる大通りのあちこちで、俳句を詠む男子高生の声、観客の歓声があがる。大街道で行われる年に一度の「祭」だ。しかし、よく見てみると商店街には大会参与者以外にも多くの人々の行き来が見受けられる。2枚の写真は普段の商店街の様子と大会が行われる日を別々に撮影したものではない。「いいものはいいんです!」とディベートで追い込まれた女子高生の必死な叫び声に混じって、両側からは呼び込みをする店員の声が聞こえてくる。熱気がこもる商店街で、靴屋の店員が店先の靴を「クール」に並べ替えている。大会が行われる日も大街道商店街はいつもとかわらず営業しているのだ。立ち止まって観戦する人、自分たちの世界に浸って通り過ぎるカップル、入場も退場もないから、そこに集う人々の動機も態度も一様ではない。普段の生活の場が、「祭」が行われることによって「俳句の場」になるのでは決してない。俳句表現が商店街の「日常」の景色として溶け込んでいる。


 ただし、大街道商店街が舞台となるのは一日目の予選だけであって、決勝戦は「松山市総合コミュニティセンター」へと舞台を移す。大街道に比べると「祭」としての側面ではなく、「コンテスト」としての側面が非常に強くなる。決してそれ自体は否定されるものではないが、やはり観客や店員、パチンコ屋の騒音、車の音、会話、風や差し込む光など商店街という生活の場所に響く「五・七・五」の方が若々しい声と表現には馴染みがいいように思える。そこには、単なる文学(芸術)としての俳句や、解釈としての俳句ではないものが存在している。気負わない芸術としては、私がフィールドとしている「詩のボクシング」と「俳句甲子園」は共通している。「詩」と「俳句」というジャンルは違えど、前者は1997年、後者は1998年という同時期に大会が開始されているのも奇妙なことだ。「俳句」や「詩」を芸術として高めるのではなく、われわれの些細な日常の中に「詩」や「俳句」を発見する。その魅力が「読む場」を生み、「聞く場」を生み出しているのではないだろうか。

撮影・文: 尾添 侑太(関西学院大学社会学研究科)

2011年11月15日火曜日

『エッジの社会学』―第2回研究会報告

『エッジの社会学―ソーシャル・ワイズの探究』―第2回研究会報告

第2回研究会
「災害死者と宗教―スマトラにおける『集団埋葬』の事例から」報告

●日時 
  2011年10月29日(土)16:00-18:00

●場所 
    関西学院大学大阪梅田キャンパス1002号室
    会場地図 → http://bit.ly/9zAzWc

●報告者
木村敏明氏(東北大学文学部准教授)

●出席者による研究会レポート 

短時間ながらの濃密な講義。「専門」への埋没を闇雲に続けていては不可知の存在であったかもしれない偉大な先達との出会い。そして異業種間の人びととの「吞み会」(私は下戸だが)を通じて知る、インドネシアという未知の世界のリアリティの面白さと奥深さ…。梅田からの帰り道、久方ぶりの「充実感」と更なる「探究欲」に満たされていた。大学院GP プログラムが終了して以降、書評誌の編纂作業を進めながらも、まさに「共同研究会」でしか味わえないようなこの瞬間を、私自身、強く求めていたのだと肌で感じられた一日であった……

*報告書の続きはこちら

2011年11月9日水曜日

『メディア・文化のインターセクション研究班』―第2回公開研究会のお知らせ

第二回「メディア・文化のインターセクション」研究会

・日時
11月26日(土)13:30-17:00

・場所
先端社会研究所セミナールーム(関西学院大学上ヶ原キャンパス 社会学部棟3階)
大学までの地図 → http://bit.ly/imKbgS
   キャンマスマップ→ http://bit.ly/cAM66c (「23」番のところ) 


・報告者
溝尻真也氏(愛知淑徳大学専任講師)

・報告タイトル
「 技術からの排除とメディア文化の変容ーーオーディオ趣味の変遷を軸に」

報告要旨:
メディアがメッセージであるとは、具体的にはいかなる事態なのだろうか。
本報告ではオーディオ趣味の歴史的変遷を軸に、音楽というメッセージを
媒介するメディア技術自体が内包していたメッセージと、それを能動的に
読み解き、書き換えてきたユーザーたち=オーディオマニアの営みについて
検討する。その上で、技術のブラックボックス化、すなわちユーザーによる
技術的介入の機会の排除が進む現代から、技術が見えていた時代の人びとと
技術との戯れを逆照射することの意味について、議論することができればと思う。

*本研究会は、関西学院大学先端社会研究所の2011年度第8回定期研究会との共催となります。
*本研究会に関するお問い合わせは、kgu.socgp[at]gmail.com (吹上)までお願いします。

*フライヤーデータはこちら

2011年11月2日水曜日

『Fogbound Society』研究会-第1回公開研究会のお知らせ


「Fogbound Society研究会」―第1回公開研究会

「ケア」と対人関係
―社会学と精神分析の交叉から問う「生きづらさ」―


●日時 
  2011年11月12日(土)13:00-17:00

●場所 
    関西学院大学先端社会研究所セミナールーム
    社会学研究科2F 大学院GP事務室(場所が変更になりました)
     大学までの地図 → http://bit.ly/imKbgS
   キャンマスマップ→ http://bit.ly/cAM66c (「23」番のところ) 

●発表者/報告題目
  ・ 塩飽 耕規(京都大学大学院) / 「『ジョニーは戦場へ行った』に見られる三つの行為」

  ・ 尾添 侑太(関西学院大学大学院) / 「対人関係における『リスク』不安」

●司会 稲津 秀樹(関西学院大学大学院)

●概要 
 当研究班は現代社会の「生きづらさ」の内実を“Fogbound”というキーワードを手掛かりに明らかにすることを目的としている。“Fogbound=霧が立ちこめた”という形容詞は、われわれが生きる現代社会が、暗闇の中で光を探すというよりも、むしろ視界が確保できず身動きが取れない状態にあることを、端的に表現している。「生きづらさ」という言葉で語られる問題の多くは、たとえば、雇用や就労をめぐる「社会問題」として語られやすい。当研究班では、そうした問題群を念頭に置きつつも、人々が生活のなかで抱える語りにくい不安、あるいは「問題にならないような問題」について考えることから、何気ない日常を覆う漠とした「もや」のような状況の中に散在する生のありようについて考えていきたい。
 第1回目の研究会となる今回は、関係としての「ケア」をテーマに、若手の社会学者/精神分析者による研究交流を行う。社会学において、グローバリゼーション、あるいは個人化するアイデンティティを背景にした「『心理学化』社会における社会と心理」(『社会学評論』61(4),2011)の動向が着目され始める一方で、医者/治療者と患者/被治療者関係の分析を目指す精神分析学では、社会や制度のありように着目が集まりはじめている状況がある。これまで交流の少なかった両領野が交叉することから生まれてくる「対人関係と『生きづらさ』」をめぐる現状と課題とは何なのか。本研究会では、「ケア」をキーワードに対話を試みることで、この問いについて参加者とともに考えたい。



*本研究会に関するお問い合わせは、kgu.socgp[アットマーク]gmail.com (尾添)までお願いします。

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2011年10月20日木曜日

『エッジの社会学』ー事前勉強会のお知らせ

10月29日(土)に控えた第2回研究会の開催に向けた事前勉強会を、
下記の要領で開催します。ご興味・ご都合のつく方はお越し下さい。

とき:10月27日(木)16時―17時半

ところ:関学社会学研究科大学院GP事務室

内容:研究会講師の木村敏明先生の論文を輪読する

問い合わせ:kgu.socgp[アットマーク]gmail.com もしくは福田まで


追記
事前勉強会には五名の院生・研究員が
集まりました。明日の研究会が楽しみです。

2011年10月18日火曜日

フィールドから見えるもの ①



暮らしを営むオプション 
-ネワールの人生儀礼のフィールドワークから-



 カトマンズでまた保険会社のお世話になった。今回は呼吸器系の感染症である。現地の外国人向けのクリニックで、西洋人の医者に「最近人混みに入ったか」と聞かれた。心当たりとして浮かんだのはある人生儀礼の密着調査だった。

カトマンズのネワール社会では、人が生まれて77年7ケ月7日7時間7分7秒たった瞬間におこなう人生儀礼がある。儀礼後、7親等までの親族が集い、神となった老人を神輿に乗せて街を練り歩き、盛大なお披露目パーティを繰り広げる。知り合いのおばあさんの儀礼に招待してもらったわたしは、ビデオとデジカメを持ち込んで朝5時からずっと密着調査していた。おばあさんの家の前にテントをはった司祭は、儀礼を執り行うため、大きな護摩壇を作って、ほら貝を吹き、生米を捧げ、ぶつぶつお経を唱える。その横で、一挙一動を必死にノートにとるわたし。参加者約800人が入れ替わり立ち替わりテントの中に入ってその様子を見物している。写メをとっている人もいる。


こういう儀礼は、一種の願掛けとして断食をした状態で参加するのが望ましいとされている。わたしもそれに習っていた。儀礼が終わり、神輿の行進に繰り出し、帰還後に家に入るための別の儀礼を見届け、その日最初の食事にありついたのは夕方6時だった。

一列に並んで、チウラ(干飯)や野菜と水牛のカレーを食べる。朝から何も食べず、儀礼の記録や人混みにまみれての行進でヘトヘトになっていたわたしは、その日最初の食事がとてもありがたく、おいしく感じられた。同時に、横に並んでいる参加者たちに対して、同じ苦楽を共にした仲間のような親近感を抱いた。なるほど、この社会ではこうやって、空腹などの経験の共有を通じて、親戚同士の連帯を育んでいくんだな、と勝手に納得していたら、隣にいたおじさんが、「カナコ、そういえばさっきご飯を食べたか?」と聞いてきた。いや、これが初めての食事だよ、というと、おじさんは「食べてないのか!!大丈夫か!!」と少し大きな声をあげ、それを聞きつけた周りの人にわたしは取り囲まれ、山盛りの食事を皿に入れられた。わたしが気づいていなかっただけで、昼ごろにみんな入れ替わり立ち替わり順番にテントを抜けて、まかないご飯を食べていたそうである。おじさんはいった。「ご飯をちゃんと時間通りに食べないと体によくないって、医学的には言われてるんだよ」

テレビやインターネットから、世界中の最新の情報が溢れてくる。その中で確実に変化している、ネワールの人々の時間感覚、身体感覚。
お披露目パーティは、大きなホールを借り切って夜中11時まで続いた。ディスコ風のパーティ会場にて、大音量でヒンディー音楽をかけて踊る人々。おばあさんが子どものときと比べてその形は大きく変わっているのかもしれないが、800人もの人々が丸一日をかけて一人のために集い、食べ、語らい、楽しむという営み自体は、変わらず続いている。
これは、暮らしが変わったというよりは、暮らしを営むためのオプションが増えてきているということなんだろうか。身一つでフィールドに飛び込んでいるように見えて実は保険をかけて来ているわたしと、フィールドでであったネワールの人々とが、重なって見えてきた。


撮影・文: 中川加奈子(関西学院大学社会学研究科)



2011年10月7日金曜日

『エッジの社会学』―第2回公開研究会開催のお知らせ

第2回「エッジの社会学―ソーシャル・ワイズの探究」研究会

●日時 
  2011年10月29日(土)16:00-18:00

●場所 
    関西学院大学大阪梅田キャンパス1002号室
    会場地図 → http://bit.ly/9zAzWc

●報告者
   木村敏明氏(東北大学文学部准教授)

●概要 
 「エッジの社会学」研究会は、7月に神戸市長田区で行われた第一回研究会に引き続き、災害をテーマとした研究会を行う。第二回研究会の報告者、木村敏明氏はこれまで、宗教学・宗教人類学の立場から、インドネシアをフィールドとして、儀礼や語りを通した経験の意味づけにかんする調査を行ってきた。 本報告では、2004年のスマトラ沖地震によって多数の死者が出たインドネシアのムスリム村落の調査報告を行う。その村では、地震の土砂災害によって多数の村民が生き埋めとなった。生存者たちは、イスラム慣習に則り遺体を清め埋葬することを希望したが、その災害規模の大きさ故に、住民の手による掘り出しはもちろんのこと、行政による掘り出しも断念された。こうした状況に対し、イスラム指導者は、生き埋めされた土砂の上から水を注ぐという、これまでの慣習と異なる儀礼で、埋葬の儀としては足りるとの声明を出すが、この方針に対し住民側が反発、加えて一部のイスラムの学者もそれに同調し、新聞紙上などで死者儀礼をめぐる論争が始まった。本研究会は、9月の追加調査を踏まえた上で行われる本調査報告を通して、ポスト災害社会における非日常の死(エッジの状況)をめぐる社会論争のなかで、どのような悼みの公共性が立ち上がっていくのかという―「3.11」の追悼と関連するであろう―問題に迫ろうとするものである。

*本研究会は、関西学院大学先端社会研究所の2011年度第6回定期研究会との共催となります。

*本研究会に関するお問い合わせは、kgu.socgp[アットマーク]gmail.com (フクダ)までお願いします。

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2011年8月7日日曜日

『メディア・文化のインターセクション研究班』―第1回研究会報告

●「メディア・文化のインターセクション」研究班 
第1回研究会「ポピュラー文化への挑戦」

●日時:2011年7月27日(水)13:30-17:30

●場所:関西学院大学社会学部先端社会研究所セミナールーム

●報告:
1 松井広志 氏(大阪市立大学大学院)
タイトル 「ポピュラー文化におけるモノ化と集合的記憶」 

2 山森宙史 氏(関西学院大学大学院)
タイトル 「コミックスのメディア史:『大衆文化としてのマンガ』の変容」

【司会】
吹上裕樹 氏(関西学院大学大学院)

●出席者による研究会レポート

我々メディア・文化のインターセクション研究班が企画・主催した第一回目の公開研究会が開催された。当日は学内外を含め9名の院生・若手研究者が参加し議論した。

・・・報告書の続きは こちら 

2011年7月22日金曜日

『エッジの社会学』第1回研究会報告

●『エッジの社会学―ソーシャル・ワイズの探究』
第1回研究会「空間のエッジ、あるいは、エッジの空間における共在について」
●日時:2011年7月14日(木)18:30-21:00
●場所:神戸市立地域人材支援センター(旧二葉小学校跡)203号室
●話題提供者 
  本岡拓哉さん (同志社大学人文科学研究所助教)
  中西雄二さん (関西学院大学文学研究科/大阪市立大学GCOE特別研究員)
  野上恵美さん (神戸大学国際文化学研究科)
  山本晃輔さん (大阪大学人間科学研究科/日本学術振興会特別研究員)
  司会・問題提起
  稲津秀樹さん (関西学院大学社会学研究科/日本学術振興会特別研究員)
    *第9回「共在の場」を考える研究会との合同開催


●出席者による研究会レポート
 
 先日、「エッジの社会学」研究会および「共在の場」を考える研究会との合同研究会へ参加した。「共在の場」を考える研究会とは、地理学、教育学などそれぞれディシプリンは異なるが、長田という共通のフィールドをもつ研究者があつまる研究会である。
 今回の研究会は、7月末に開催される「カルチュラルタイフーン 2011」のセッションでのプレ発表会という位置づけであった。各話題提供者のフィールド、すなわち、在日朝鮮人(本岡氏)、奄美諸島(中西氏)そしてベトナム(野上氏、山本氏)など長田を特徴づける様々なエスニシティ、あるいは阪神淡路大震災の記憶をめぐる表象の調査報告(稲津氏)によって構成される今回のセッションは、幅 2メートル四方に拡大された長田のフィールドマップを見下ろしながら、長田の記憶/歴史/生活を立体的に浮かび上がらすという趣旨であった。
 それぞれの調査が発表されるにつれ、長田という町が人びとによってどのように生きられ、また生きられることの必然として境界 (エッジ)が生み出され、それらしばしば重なり合うエッジが乗り越えられ変化していくさまが明らかになっていった。
 
 ・・・報告書の続きは こちら 

2011年7月20日水曜日

『メディア・文化のインターセクション研究班』―第1回公開研究会開催のお知らせ

*場所が変更になりました。ご注意ください。

『メディア・文化のインターセクション研究班』
第一回公開研究会 「ポピュラー文化への挑戦」
 
開催日 2011年7月27日(水)
時間   13:30~17:00
場所   関西学院大学上ヶ原キャンパス
       社会学部2F旧大学院GP事務室

     →社会学部3F先端研究所セミナールーム

報告1  松井広志氏(大阪市立大学大学院)
タイトル 「ポピュラー文化におけるモノ化と集合的記憶」
 
報告2 山森宙史氏(関西学院大学大学院)
タイトル 「コミックスのメディア史―『大衆文化としてのマンガ』の変容」
 
概要
 メディア・文化のインターセクション研究班は、現在の文化研究やメディア研究が直面せざるをえない様々な研究課題を明らかにし、社会学的なアプローチを通した新たな解決方策や分析視座を模索することを目的とする活動を行っています。この第一回研究会では、ちょうどメディア研究・文化研究の交差する場(インターセクション)に位置すると考えられるポピュラー文化研究に取り組む若手研究者/大学院生による研究報告を行います。一方は「モノ化」と「集合的記憶」、他方は「メディア史」とアプローチの違いはありますが、そうした違いを突き合わせつつ、ポピュラー文化研究の新たな方向性を探る機会となることを目指します。 



*このHPをご覧になられた方の参加希望連絡は
・・・ kgu.socgp[アットマーク]gmail.com まで

*本研究会のフライヤーデータはこちら


2011年7月8日金曜日

『エッジの社会学』―第1回公開研究会開催のお知らせ

第1回「エッジの社会学」研究会
―空間のエッジ、あるいは、エッジの空間における共在について―


●日時 
  2011年7月14日(木)18:00-20:00


●場所 
  神戸市立地域人材支援センター203会議室 
  JR新長田駅 南に徒歩15分程度  会場地図 →   http://tinyurl.com/6z7blms


●話題提供    

  本岡拓哉氏(同志社大学人文科学研究所助教)
・・・論文に「戦後神戸市における不法占拠バラック街の消滅
          過程とその背景」『人文地理』59(2)2007 など


  中西雄二氏(関西学院大学文学研究科/大阪市立大学GCOE特別研究員)
・・・論文に「奄美出身者の定着過程と同郷者ネットワーク
――戦前期の神戸における同郷団体を事例として」『人文地理』59(2) 2007 など


  野上恵美氏(神戸大学国際文化学研究科)
・・・論文に「在日ベトナム人宗教施設が持つ社会的意味に関する一考察
―カトリック教会と仏教寺院における活動の比較」『鶴山論叢』(10) 2010 など


  山本晃輔氏(大阪大学人間科学研究科/日本学術振興会特別研究員)
・・・共同報告に「往還することと教育-日本とブラジルにおける生活史分析から」
『日本教育社会学会大会発表要旨集録』(61) 2009 など


  芝野淳一氏(大阪大学人間科学研究科/大阪大学GCOE R.A.)
・・・論文に「ネオリベラリズムと多文化主義の『結びつき』とその『維持』に
関する試論―ボランタリーな支援活動に着目して―」『教育文化学年報』(5) 2010など

  稲津秀樹氏(関西学院大学社会学研究科/日本学術振興会特別研究員)
・・・論文に「日系ペルー人の『監視の経験』のリアリティ― 〈転移〉する
空間の管理者に着目して―」『社会学評論』 61(1) 2010 など


●タイトル  
  まちかどの記憶/イメージへの介入
―共在の場としての〈ながた〉のフィールドマップを描く―


●概要 

神戸・長田をめぐって想起される記憶/イメージとは何だろう。阪神淡路大震災、復興と再開発、鉄人28号像、下町・・・。この研究会では、朝鮮、奄美、ベトナム等からの移住者のように多様な背景をもつ人びとを引き寄せてきたフィールドとしての、〈ながた〉をめぐるもう一つの側面に着目する。つまり、神戸という空間のエッジにありながらもなお、周辺化されたエッジに共在して生きてきた人々の生活の実像をめぐる報告を通じて、共在の場としての〈ながた〉からみた、地域をめぐる記憶/イメージへの介入の在り方について考えてみたい。


*カルチュラル・タイフーン2011(7月23日-24日)応募企画のプレ報告会となります
*第9回共在の場を考える研究会との合同開催になります

*このHPをご覧になられた方の参加希望連絡は
・・・ kgu.socgp[アットマーク]gmail.com まで

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2011年6月30日木曜日

『メディア・文化のインターセクション』研究会 読書会のお知らせ

2011年7月2日(土)午後1時より、社会学部棟二階旧GP事務室にて
メイロウィッツ著『場所感の喪失 上』(新曜社)の読書会を開催します。

今回の読書会は、前回6月18日に開かれた会の続きにあたります。
参加希望の方は吹上まで別途、御連絡ください。

2011年6月23日木曜日

『Fogbound Society』研究会 第1回読書会

尾添です。

Fogbound society研究班では下記の概要で読書会を開催します。
ご自身のテーマだという人も、テーマではないという人も、
興味関心のある方は気軽にご参加ください。


テーマ:自己論の再検討
-片桐雅隆『自己の発見―社会学史のフロンティア』(2011,世界思想社)を読む―


日時:2011年6月27日(月)11:00-12:30


場所:関西学院大学大学院社会学研究科旧GP事務室


*研究会は、参加者全員による議論を中心に行います。
  参加希望者は必要に応じてレジュメを用意するなどしてください。
  スタイルなどは基本的にお任せしますので形式に拘らなくても大丈夫です。




*今回は研究科内のクローズドな読書会なので、
  特にM1の方々は読書会の雰囲気をぜひ味わいにきてください。





2011年6月16日木曜日

書評誌執筆者募集のお知らせ(その2)

5月20日(金)、6月3日(金)に新しい書評誌『KG社会学批評(仮)』の選書会が行われました。

M1から研究員までの約10人の大学院生・研究員が集まり、先端社会研究所からも
岩佐研究員、辻研究員が、そして教務からも渡邊先生にお越しいただき、
「書評論文とはなにか」、「書評と書評論文はどう違うのか」、といった諸点をめぐる
簡易レクチャーが行われました。

6月7日(金)には、新書評誌のエントリーシートが正式配布され、
院生会・先端研・研究科の3者合同による新しい雑誌の創刊にむけた準備が着々と
進んでいます。

エントリーシートの締め切りは、明日(17日)です。
おひとりでも多くのエントリーをお待ちしています。



写真:6月3日(金)第2回選書会の様子


2011年5月19日木曜日

『エッジの社会学』―H.S.ベッカー読書会

表題の件についてお知らせです。
共同研究『エッジの社会学』研究会の活動の一環で
H.S.ベッカー『アートワールド』を対象とした読書会を行っています。

毎週水曜日の15時過ぎから、場所は院生室もしくはGP事務室です。
ブルデューの諸論も織り交ぜつつやっています。

研究科内で興味関心のある方は、
松村まで御連絡、あるいは直接お申し出ください。

2011年5月18日水曜日

書評誌執筆者募集(選書会)のお知らせ

『KG社会学批評(仮題)』第一号
執筆者募集(選書会案内)

『KG社会学批評(仮題)』は、昨年度まで大学院GPプログラムを通じて
刊行されていた『KG/GP社会学批評』のスタイルを引き継ぎ、新たに
本学大学院生を中心とした研究発表の媒体となる批評誌です。

今年度中の発刊を目指すにあたり、本誌の主要コンテンツとして考えている
「書評論文」の執筆者を研究科内で募集します。


第1回選書会;5月20日(金)昼休み@GP事務室

執筆希望者は対象にする予定の著書を持って集まってください。編集委員としては
はじめて「論文」を執筆しようとする前期課程の院生をはじめとしたみなさまにも
不安がないよう、執筆に際してサポート体制をつくっていこうと考えています。この
選書会は、そうした執筆にあたっての最初の、そして重要なサポート事業の一環ですので
ぜひ参加してください。

2011年5月14日土曜日

企画の全体像とこのブログについて

関西学院大学大学院社会学研究科では、大学院GPプログラムの終了に伴い、
院生・研究員による自主企画を社会学研究科と先端社会研究所のバックアップの下で
進めていくことになりました。

・具体的には、査読付き書評誌の発刊(『タイトル未定』)及び
共同研究会を中心とした企画を、社会学研究科所属の院生・研究員主体で展開していきます。


・共同研究会(2011年4月現在~)

『エッジの社会学ソーシャル・ワイズの探究』研究会
  「エッジの社会学」研究会では“ギリギリ”を生きる人びとの現場へと迫る中で、人びと他者と生きていこうとする際に生み出される「社会的智慧(Social Wise)」を探りだすことを目的としている。具体的には、(1):震災のような災害現場やその復興の在り方、(2):自営業・廃品回収業・建築業(家)といった職業や職業界の在り方、更には、(3):「就労」から距離をとらざるを得ない状況の周辺者(「ひきこもり」や「生活保護者」など)の存在に着目しながら、エッジを生きる人びとの内実と同時に、そうした人びとへの社会学的アプローチのあり方について、研究会の開催を通じて模索していく。


『メディア・文化のインターセクション』研究会
 当研究会は、現在の文化研究やメディア研究が直面せざるをえない様々な研究課題を明らかにし、社会学的なアプローチを通した新たな解決方策や分析視座を模索することを目的とする。いまや、文学研究、メディア研究、文化研究の領域は個々独立したものではなく、相互に連関した学際的な色彩を帯びることが自明となっている。加えて、研究対象となる文化・メディアの範囲も拡がり、これまで見過ごされてきた様々な領域が再度検討されるようになっている。しかし、そのような研究領域の拡がりゆえに、各研究領域における既存の学問的枠組みの限界や更新の必要性が指摘されるようになっている。本研究会では、こうした文化やメディアを研究する上で現在では避けては通れなくなっている様々な課題に対して、個々の研究領域が交差する場、即ち、つなぎ目(intersection)を社会学的なアプローチを通して「きしませる」ことで、現在の文化・メディア研究が直面している課題とは何か、また、これからの文化・メディア研究の向かうべき方向を検討していく。


Fogbound Society 研究班
 当研究班は現代社会の「生きづらさ」の内実を“Fogbound”というキーワードを手掛かりに明らかにすることを目的とする。“Fogbound=霧が立ちこめた”という形容詞は、われわれが生きる現代社会が、もはや暗闇の中で光を探すというよりも、むしろ視界が確保できないなかで身動きが取れない状態にあることを、端的に表現している。「生きづらさ」という言葉で語られる問題の多くは、たとえば雇用や就労をめぐるもののように「社会問題」として語られやすい。しかし、Fogbound Society研究班では、人々が普通の生活のなかで抱える語りにくい不安、あるいは「問題にならない問題」について考え、悩むプロセスを重んじる。そこから、何気ない日常を覆う漠とした「もや」の中に散在する生のありようを描きだす記述やそのための方法について考えていきたい。


・本ポータルブログは、上記研究会の新着情報をはじめ、書評誌編集状況、研究会開催報告や、院生目線で綴る文字通りの「時評」など、社会学研究科院生・研究員によるプロジェクトの今を伝えるブログとしていく予定です。