2011年10月20日木曜日

『エッジの社会学』ー事前勉強会のお知らせ

10月29日(土)に控えた第2回研究会の開催に向けた事前勉強会を、
下記の要領で開催します。ご興味・ご都合のつく方はお越し下さい。

とき:10月27日(木)16時―17時半

ところ:関学社会学研究科大学院GP事務室

内容:研究会講師の木村敏明先生の論文を輪読する

問い合わせ:kgu.socgp[アットマーク]gmail.com もしくは福田まで


追記
事前勉強会には五名の院生・研究員が
集まりました。明日の研究会が楽しみです。

2011年10月18日火曜日

フィールドから見えるもの ①



暮らしを営むオプション 
-ネワールの人生儀礼のフィールドワークから-



 カトマンズでまた保険会社のお世話になった。今回は呼吸器系の感染症である。現地の外国人向けのクリニックで、西洋人の医者に「最近人混みに入ったか」と聞かれた。心当たりとして浮かんだのはある人生儀礼の密着調査だった。

カトマンズのネワール社会では、人が生まれて77年7ケ月7日7時間7分7秒たった瞬間におこなう人生儀礼がある。儀礼後、7親等までの親族が集い、神となった老人を神輿に乗せて街を練り歩き、盛大なお披露目パーティを繰り広げる。知り合いのおばあさんの儀礼に招待してもらったわたしは、ビデオとデジカメを持ち込んで朝5時からずっと密着調査していた。おばあさんの家の前にテントをはった司祭は、儀礼を執り行うため、大きな護摩壇を作って、ほら貝を吹き、生米を捧げ、ぶつぶつお経を唱える。その横で、一挙一動を必死にノートにとるわたし。参加者約800人が入れ替わり立ち替わりテントの中に入ってその様子を見物している。写メをとっている人もいる。


こういう儀礼は、一種の願掛けとして断食をした状態で参加するのが望ましいとされている。わたしもそれに習っていた。儀礼が終わり、神輿の行進に繰り出し、帰還後に家に入るための別の儀礼を見届け、その日最初の食事にありついたのは夕方6時だった。

一列に並んで、チウラ(干飯)や野菜と水牛のカレーを食べる。朝から何も食べず、儀礼の記録や人混みにまみれての行進でヘトヘトになっていたわたしは、その日最初の食事がとてもありがたく、おいしく感じられた。同時に、横に並んでいる参加者たちに対して、同じ苦楽を共にした仲間のような親近感を抱いた。なるほど、この社会ではこうやって、空腹などの経験の共有を通じて、親戚同士の連帯を育んでいくんだな、と勝手に納得していたら、隣にいたおじさんが、「カナコ、そういえばさっきご飯を食べたか?」と聞いてきた。いや、これが初めての食事だよ、というと、おじさんは「食べてないのか!!大丈夫か!!」と少し大きな声をあげ、それを聞きつけた周りの人にわたしは取り囲まれ、山盛りの食事を皿に入れられた。わたしが気づいていなかっただけで、昼ごろにみんな入れ替わり立ち替わり順番にテントを抜けて、まかないご飯を食べていたそうである。おじさんはいった。「ご飯をちゃんと時間通りに食べないと体によくないって、医学的には言われてるんだよ」

テレビやインターネットから、世界中の最新の情報が溢れてくる。その中で確実に変化している、ネワールの人々の時間感覚、身体感覚。
お披露目パーティは、大きなホールを借り切って夜中11時まで続いた。ディスコ風のパーティ会場にて、大音量でヒンディー音楽をかけて踊る人々。おばあさんが子どものときと比べてその形は大きく変わっているのかもしれないが、800人もの人々が丸一日をかけて一人のために集い、食べ、語らい、楽しむという営み自体は、変わらず続いている。
これは、暮らしが変わったというよりは、暮らしを営むためのオプションが増えてきているということなんだろうか。身一つでフィールドに飛び込んでいるように見えて実は保険をかけて来ているわたしと、フィールドでであったネワールの人々とが、重なって見えてきた。


撮影・文: 中川加奈子(関西学院大学社会学研究科)



2011年10月7日金曜日

『エッジの社会学』―第2回公開研究会開催のお知らせ

第2回「エッジの社会学―ソーシャル・ワイズの探究」研究会

●日時 
  2011年10月29日(土)16:00-18:00

●場所 
    関西学院大学大阪梅田キャンパス1002号室
    会場地図 → http://bit.ly/9zAzWc

●報告者
   木村敏明氏(東北大学文学部准教授)

●概要 
 「エッジの社会学」研究会は、7月に神戸市長田区で行われた第一回研究会に引き続き、災害をテーマとした研究会を行う。第二回研究会の報告者、木村敏明氏はこれまで、宗教学・宗教人類学の立場から、インドネシアをフィールドとして、儀礼や語りを通した経験の意味づけにかんする調査を行ってきた。 本報告では、2004年のスマトラ沖地震によって多数の死者が出たインドネシアのムスリム村落の調査報告を行う。その村では、地震の土砂災害によって多数の村民が生き埋めとなった。生存者たちは、イスラム慣習に則り遺体を清め埋葬することを希望したが、その災害規模の大きさ故に、住民の手による掘り出しはもちろんのこと、行政による掘り出しも断念された。こうした状況に対し、イスラム指導者は、生き埋めされた土砂の上から水を注ぐという、これまでの慣習と異なる儀礼で、埋葬の儀としては足りるとの声明を出すが、この方針に対し住民側が反発、加えて一部のイスラムの学者もそれに同調し、新聞紙上などで死者儀礼をめぐる論争が始まった。本研究会は、9月の追加調査を踏まえた上で行われる本調査報告を通して、ポスト災害社会における非日常の死(エッジの状況)をめぐる社会論争のなかで、どのような悼みの公共性が立ち上がっていくのかという―「3.11」の追悼と関連するであろう―問題に迫ろうとするものである。

*本研究会は、関西学院大学先端社会研究所の2011年度第6回定期研究会との共催となります。

*本研究会に関するお問い合わせは、kgu.socgp[アットマーク]gmail.com (フクダ)までお願いします。

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